007 久しぶりのボストン 2005年7月
神戸大学大学院経営学研究科 教授 正司健一

 「本当にない!」 この3月、7年半ぶりにボストン中心部を訪れた時、最初に出た言葉はこれだった。前回滞在時(1997年6−8月),ボストンでは通称Central Artery、その醜悪な緑色のガーターから第2の緑の怪物「Green Monster」(いうまでもなく,本来Green Monsterといえば、ボストン・レッドソックスのホームグラウンドであるフェン・ウェイ球場のレフト側にそびえるフェンスのこと)とも呼ばれていた、ダウンタウンとウォーターフロントを完全に分断していた6車線の鋼製高架構造の高速道路(I-93、区間延長約2.4km)を、ほぼその真下の空間に地下化することを目玉とする,米国史上最大ともいわれたCentral Artery and Third Harbor Tunnel (通称CA/TないしBig Dig)プロジェクトが着々と進んでいた。

 その工事現場を何度か見学したし、そもそも第3ハーバートンネルが先行的に着工されることとなった92年の前年夏まで当地に1年半ほど滞在していた小生にとって、高架道路がなくなっていることはわかっていたことだった。にもかかわらず、街の中心部に大きく広がる空間と空は、小生に衝撃であった。

 たしかにCA/Tは道路建設プロジェクトということもできる。しかし、それはけっして増大する自動車交通需要に後追い的に対応するためといった旧来発想のものではない。自動車漬けの国と揶揄されてきたアメリカでの話という点を頭の片隅においておく必要はあるものの、 1970年代以降の公共交通重視、都心重視といった当地の交通政策・地域政策の大原則の象徴たるプロジェクトである。

 1959年に開通したCentral Arteryは,市街地を高架高速道路が貫通することの問題性を人々に実感させる存在ともなった。建設にあたって2万人もの住民の移転が必要であったことも問題を大きくした。こういった話は、生粋の神戸っ子の小生にとって、国道43号線や阪神高速神戸線とついつい重なってしまう話である。

 ただボストンではその後の展開が違った。Central Arteryの南側の区間は住民との妥協のため地下構造となった。1960年にはさらに高速道路(I-90)が開通したが、以後人々の反対を押し切って道路を建設することはいよいよ難しくなった。1967年5月8日,地元紙であるBoston Globe に、都市内環状高速道路(半径5km)西側部分*計画への異議を強く追求した意見広告(ハーバード、 MITの教員528名の連名)が掲載された。そして1970年、Sargent州知事から道路建設モラトリアムが宣言され、1972年には、I-95 (通称 128、半径約15km) 内側での高速道路建設計画のすべてを廃止した州の交通計画が策定された。

 道路建設のストップ時には地元ビジネス界からボストンの自殺という声もあった。しかし、結果的には都心のビル群は60年代以後さらに増加し、オフィス・ビルは道路がなくても増えることを示した。経済活動にとって最低限の道路整備はとくに物流面を考えると不可欠だろうが、まちの活気を支える都心に集積してくる人々の足を主に支えるのは、その空間制約から公共交通機関以外にありえないから、これは当然といえば当然のことである。

 「そもそも、いつか取り替えないといけないなら、地下化した方が地域にとってメリットは大きいじゃないか(だから実は意図的に,そこまで高架橋を老朽化させたといった側面がない訳じゃない)。これで1950年代の間違った意思決定をやっと正せるのだし。」と、7年半前、そんな言葉を茶目っ気たっぷり小生に言った元マサチューセッツ州運輸大臣のFred Salvucci氏(97年当時、そして今もMIT教員)にも今回再会できた。

 「Ken。どうだ、やっぱりいいだろう。ところで、日本では本当の社会インフラをちゃんと整備するようになったのかい?」要塞のような高架道路、空間の希少性などまるで顧みることなく、路上駐車用スペース拡張のために拡幅されたかのような道路を思い浮かべ、何の返事もできなかった小生であった。

*大西洋に面したボストンであるため、環状とはいえ実質半円のような形になっていて、ここで問題にされたのはその半円弧の部分にあたる。Central Arteryはいわば直径部分の中程の区間となる。

 PBSがSalvucci氏に行ったインタビューがネットで見ることができる。
  http://www.pbs.org/greatprojects/interviews/salvucci_1.html

 
 
 

   著者プロフィール
 正司 健一
 (しょうじ けんいち)
 正司健一


経歴
1977年3月 神戸大学経営学部卒業
1979年3月 神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程修了
1999年4月 神戸大学大学院経営学研究科教授、現在に至る

受賞歴
国際交通安全学会賞(著作部門)
日本交通学会賞(著書の部)

主な著書
『都市公共交通政策:民間供給と公的規制』(千倉書房)2001年5月
「ロードサイドビジネスの発展とその背景」(共著)『ポスト・モータリゼーション:21世紀の都市と交通戦略』(学芸出版社)2001年12月
「鉄道輸送」(NTT出版)(共著)『講座・公的規制と産業 W交通』1995年2月
 その他論文等多数


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