013 「ドン・キホーテの道」と「聖ヤコブの道」 2006年7月
関西外国語大学外国語学部 教授 井尻直志

 日前に奄美・沖縄地方の梅雨が明けた。今年の梅雨は沖縄に大雨をもたらしたようで、地盤が弛んで地崩れを起こし、本島の丘陵地帯に建てられた家屋やマンションの住民に避難命令が出されたらしい。ニュースを見ていて、かつて沖縄に住んでいたときに見た、雨が降るたびに山から流れ出す赤土で赤茶色に濁る海を思い出した。沖縄本島北部のヤンバルと呼ばれる地域には、亜熱帯の山のなかに林道が走っているが、杜撰な道路工事の結果、雨が降るたびに山から赤土が流れ出す、ということだった。ニュースを見ながら、沖縄の道路行政について書こうかと一瞬思ったが、生兵法は大怪我の基。餅は餅屋で、スペインの有名な二つの道について書くことにした。

 Camino de Santiago(カミーノ・デ・サンティアゴ)、Ruta de Don Quijote(ルータ・デ・ドン・キホーテ)」。この二つの道は、「聖ヤコブの道」、「ドン・キホーテの道」と日本語では一般に呼ばれている。Santiago(聖ヤコブ)はスペインの守護聖人、Don Quijote(ドン・キホーテ)はスペインを代表する小説の主人公。すなわち、この二つの道はスペインを象徴する二人の人物の名前が冠された道である。

 聖ヤコブとはキリストの12使徒のひとりで、スペイン語ではSantiago(サンティアゴ)と呼ばれている。Santiagoはチリの守護聖人でもあり、Santiago de Chileと言えばチリの首都であるが、Camino de Santiago(聖ヤコブの道)に関わるのは、スペイン西北部ガリシア地方の中心都市Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)である。中世の前期にこの地で聖ヤコブの遺体が発見されたと言われ、以来、聖ヤコブの墓所としてヨーロッパ全土から多くの巡礼者を集めてきた。11世紀から12世紀にかけて建てられたロマネスク様式の大聖堂が有名で、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教の三大聖地のひとつとして、今も多くの人たちがSantiago de Compostelaを目指し、巡礼の道Camino de Santiagoを辿っている。

 一方「ドン・キホーテの道」であるが、セルバンテスの小説『機知に富んだ郷士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の主人公ドン・キホーテに関しては、贅言を要しないであろう。「ドン・キホーテの道」は、かの有名な遍歴の騎士ドン・キホーテが愛馬ロシナンテにまたがり、従士サンチョ・パンサを従えて、冒険と勲を求めて辿った道である。

 さて、本題はここからである。ここまで拙文につきあって頂いた方のなかには、「聖ヤコブの道」はなぜcaminoであってrutaではなく、「ドン・キホーテの道」はなぜrutaであってcamino ではないのか、という素朴な疑問を抱かれた方もおられるのでないか。巡礼者は、スペインのみならずヨーロッパ各地からSantiago de Compostelaを目指すわけであるから、巡礼の道はもちろん一つではなく複数ある。そういった個々のルートを指してRuta de Santiagoと呼ぶことはあるが、それらのルートを総称する際には、一般にCamino de Santiagoと呼んでいる。その理由は幾つか考えられるが、一番の理由は、おそらく、rutaが比較的新しい単語だからであろう。1611年に出版された最初のスペイン語辞書にはrutaという単語は存在しない。18世紀の初めに出た辞書を繙けば、「ruta:道順、道筋を意味する、新しい単語」という記述がみられる。とすれば、rutaという単語がスペイン語として一般に使われ出すのは、17世紀初めから18世紀初めにかけてということになる。すなわち、rutaという言葉が使われ出した頃には、すでにCamino de Santiagoという呼称が定着していたということである。ところで、caminoの動詞形はcaminar「歩く」であり、前置詞aを伴えば、「?へ歩いて行く」という意味になる。Camino de SantiagoはCamino a Santiagoとも呼ばれ、日本語に訳すと「サンティアゴ・デ・コンポステーラに歩いて行く道」となる。聖地を目指して歩く道、まさに巡礼の道に相応しい名称と言えよう。

 Camino de Santiagoについては、一応、以上のような説明を付けることができる。一方、Ruta de Don Quijoteの方はどうか。「ドン・キホーテが辿った道」という意味であれば、caminoでも差し支えない。事実、Camino de Don Quijoteと呼ばれることもあるのだが、やはりRuta de Don Quijoteが一般的である。何故か。そこには、一冊の文学作品が大きな役割を果たしていると考えられる。今でこそ、遍歴の騎士ドン・キホーテが辿った道Ruta de Don Quijoteは、多くの観光客が訪れる観光地となっているが、もともとRuta de Don Quijoteはただの田舎道で、沿道の村もただの僻村である。そのような道を辿ろうという酔狂な輩は、20世紀に入るまでは、まずいなかった。20世紀に入ると、詳細は割愛するが、ディスカヴァー・スペインの気運が作家の間で高まり、地方の辺鄙な田舎に目が向けられ、旅行記等が書かれるようになる。折も折、1905年は、『ドン・キホーテ』出版300年に当り、それを記念して、スペインの作家アソリンが、ドン・キホーテの足跡を辿ったエッセイを書く。その本のタイトルが"La ruta de Don Quijote"なのである。以来、Ruta de Don Quijoteという呼称が定着したと考えられる。文学作品の力はなかなか侮れない。

   著者プロフィール
 井尻 直志
 (いじり なおし)
 井尻直志


経歴

大阪外国語大学卒業。
同大学院修了。
琉球大学助教授を経て、関西外国語大学教授、現在に至る

専門

スペイン文学・ラテンアメリカ文学。

著書・翻訳
『スペイン語圏の現代文学』
『ボルヘス詩集』
『ホセ・マルティ選集』など。
 その他論文多数


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