メディア寄稿

都市への集積メリット『間接便益』の適切な評価を

 戦後の経済成長は急激な都市化をもたらした。東京大学空間情報科学研究センターが通勤パターンで分類した都市圏(都市雇用圏)でみると、東京都市圏の人口は2005年に日本の総人口の26%を占める。さらに、十大都市圏の人口を合わせると、総人口の半分を超えている。

 大都市圏への人口集中をもたらしている原動力は集積の経済である。都市に多様な人材や企業が集積し、それらが複雑に絡み合って企業間取引と個人間交流のネットワークを形成している。都市集積による生産性の向上が、住宅コストや通勤コストの増加といった集積の不経済を上回ることが、大都市化をもたらしている。

 集積の経済がますます重要になってきている背景には、産業構造の変化がある。第1次産業に加え、第2次産業も従業者シェアが減少し、2010年に第3次産業のシェアが7割を超えた。3次産業化において重要になるのは、人によるサービスや知識・知恵の提供である。情報通信技術の進歩によって都市集積の必要性は減少するのではないかという議論があったが、実際にはフェース・ツー・フェースのコミュニケーションの重要性はかえって高まっている。

 輸送技術の進歩によって「もの」の輸送コストは大幅に低下した。しかし、人の輸送コストは低下するどころか、経済成長による賃金増を反映して上昇している。「人」の輸送コストの大部分を占めるのが時間コストであり、これは賃金に連動するからである。

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 最近の空間経済学の研究によって、集積の経済をもたらす多様性は不完全競争による市場の失敗をともなうことがわかってきた。市場の失敗が存在する場合、それを補正する都市政策が正当化できる可能性がある。しかし、集積の経済は本来的にきわめて複雑であり、直接的に補正する政策はほとんど不可能である。市場の失敗を前提にした「次善の政策」を打つしかない。

 次善の政策については、1950年代から理論的な研究が積み重ねられてきたが、実際の政策に適用されることはあまりなかった。ところが最近になって、英国政府は交通投資の「幅広い便益」として、集積の経済を考慮に入れた次善の評価を試みている。

 交通投資の費用便益分析においては、時間短縮便益、費用減少便益、環境費用減少便益などの直接便益のみを計測し、地域所得の増加や不動産価値の上昇などの間接便益は二重計算になるので計測しないのが通常である。「風が吹けばおけ屋がもうかる」といった具合に、直接便益が転々と転移していって間接便益が生まれるので、市場の失敗が存在しないケースでは、間接便益は相殺し合ってゼロになるからである。ところが、市場の失敗が存在する場合の次善の評価ではゼロにならない。

 市場の失敗が存在する場合は、価格が実際の社会的費用や社会的価値と乖離(かいり)している。たとえば、知識労働者の集積によって集積の経済が生じている場合に、労働者の得ている給与が実際の社会的価値より低い。こういった場合には、知識労働者の集積が過小になっている。都心での交通投資が知識労働者の集積を増加させる効果をもてば、過小な集積を是正する方向に働くので、追加的な社会的便益が発生する。

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 英国交通省はこういった次善の評価の観点に立って、間接便益を計測する先駆的な取り組みを始めている。表はロンドンを東西に横断する都市鉄道新路線を建設するクロスレール計画について「幅広い便益」を推計したものである。従来型の利用者便益(直接便益)が約160億ポンド(1ポンド=約165円)であるのに対して、幅広い便益(間接便益)は70億ポンドを超え、従来型便益の半分近くに達している。そのうちで大きいものは、集積便益と労働者の流入によるものであり、双方とも30億ポンドを超えている。

クロスレールの便益と費用(億ポンド)

政府にとっての純費用 89.60
    総費用 139.02
    −純鉄道収入 -61.49
    +間接税減収 12.07
従来型の利用者便益 160.93
    レジャー/通勤 交通 112.29
    ビジネス交通 48.64
幅広い便益 71.61
    集積便益 30.94
    不完全競争 4.86
    労働者の移動 32.32
    労働力率の増加 3.49

出所:Crossrail Ltd., 2005, Economic Appraisal of Crossrail 2005,

こういう大きな数字になった理由は、ロンドン中心部の雇用がクロスレールによって顕著に増加するからである。集積便益は、世界の金融機能が集積しているロンドン中心部では大きくなると想定される。また、中心部の高い生産性を反映して、他地域や郊外からロンドン中心部に移ってくる労働者の賃金が移動前より高くなるとして、労働者流入による便益を計算している。ただし、賃金上昇がすべて社会的便益になるわけではなく、英国のガイドラインでは、所得税相当部分の30%を追加便益としている。

 ロンドン中心部のような集積の進んでいる地域では幅広い便益がプラスになるが、集積の少ない地域への交通投資はマイナスの便益をもたらす可能性が大きい。集積度の高い地域から低い地域への雇用の移動が起きるからである。ロンドンからバーミンガム方面への高速鉄道プロジェクトHS2については、幅広い便益はマイナスにはなっていないものの、40億ポンドにすぎず、利用者便益の179億ポンドに比べてかなり小さい。

 筆者の理論的検証によれば、英国における「幅広い便益」の推計手法はいくつかの問題点をもっており、推計値が過大評価である可能性は大きい。しかしながら、この推計手法は大筋において理論的に正当化でき、わが国においても真剣な検討に値する。

 第一の適用例は、大都市圏における交通投資である。多様で高度な人材集積を増加させることが見込まれるケースには、そのことによって発生する追加的社会的便益を評価に組み込むことができる。我が国では、国土の均衡ある発展といったかけ声にみられるように、大都市圏におけるインフラ投資を冷遇する傾向があったが、集積の経済を正当に評価する必要がある。

 ただし、集積の経済は大都市にだけ見られるものではない。金属洋食器や刃物の新潟県燕・三条地域、めがねの福井県鯖江地域のように、特定の産業が集積した中小都市についても、集積の経済は重要な役割を果たしている。

 さらに都市圏内部においても、中心市街地における商業や娯楽施設も集積の経済をもたらしうる。路面電車やバスネットワークの整備が中心市街地の集積を増加させる場合には、集積便益が発生する。ただし、集積便益が発生するためには実際に集積が増加しなければならない。残念ながら、中心市街地活性化政策が集積を顕著に増加させたケースはほとんど見当たらない。集積の増加が本当に見込まれるかの事前評価と、実際に集積が増加しているかをチェックする中間評価を厳しく行う必要がある。

 次善の政策評価の考え方は、集積の経済以外にも数多くの適用対象がある。最も有効と思われるのは、社会保障関係である。医療保険の自己負担が3割、介護保険の自己負担が1割であるなど、価格と社会的費用の間の乖離はきわめて大きく、間接便益を考慮した評価が必要である。

 この分野の先駆的研究として、丹呉允・高山知拡の両氏によるサービス付き高齢者住宅への補助制度に関する東大公共政策大学院の事例研究がある。

 特別養護老人ホームには手厚い補助がなされ自己負担が少ないので、入居希望者が多く、要介護度が低い入居者もかなりの程度存在する。こういった場合には、他の政策で特養ホームの需要を減らすことができれば、社会的便益が発生する。サービス付き高齢者住宅への補助金はそれ自体の純便益がマイナスであっても、要介護度が低い特養ホーム入居者を減らすことができれば、純便益がプラスになりうる。

 2014年2月10日 日本経済新聞「経済教室」に掲載